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南極の色

2011/05/05 18:47

 

南極の色は?

「白!」

と答える人が圧倒的に多いだろう。確かに、「白い大陸」に間違いはない。氷床に覆われた大陸の上にいれば、天気の良い日は青と白のツートンカラー。まばゆくてサングラスなしにはいられない。お肌ももちろん紫外線対策をしないとあっという間に日焼けで大変なことに。しかし、天気が崩れてくれば空も大地も白一色に、もちろんそれは暗くなって灰色と言ったほうがよい世界。こんな日がずっと続けば、寒さも増すし、気も滅入ってくる。

 しかし、南極の夏の沿岸部は、雪解けで岩石や土の部分が生まれる。茶系が加わって大陸内部とは表情が異なる。部分的には苔や地衣類・藻類が見られ、黒・緑色・黄色などが加わり、ぐっとにぎやかになる。何だかうれしい、ほっとする風景に出会えた気がする。

それに、天気さえよければ、夕暮れや夜が始まろうとする頃には、またまた違った世界が生まれる。白夜が終わろうとする頃、傾いた太陽のすることは、驚くべきショーなのだ。午前2時の桃色の世界。全てを忘れられる瞬間であった。高い山から海を眺めると、海氷の様々な形に、斜めに差し込む陽の光がやわらかな暖色系の光を作り、その影は紫となって長く長く横たわる。そして、私はそれを眺めながらいつも、サン・テクジュペリの砂漠の風景をなぜか思い起こしてしまうのだった。

 

 

こんなふうに、南極の色は夏の太陽のせいで、一色ではないのだが、それでも帰国途中のオーストラリアで緑や花々に囲まれて「生」の美しさを再確認した。

 

 

 

 

 

 

さらに帰国して日本の多彩性に圧倒された。季節は桜のころを迎え、ただでさえ美しい世の中であったが、訪れた高知のお城祭りで日本人の美意識を浴びた。この土地に生まれ育って良かったと心の奥底でほっとしている自分を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東日本では震災のために、かつての見慣れた風景がそこにないさびしい場所も多い中、残された桜は、忘れずに春を告げ、弘前の桜祭りには多くの人々が訪れたと聞いた。

かつて、原爆の落とされた広島でも、爆心地近くの大木の幹から新芽が出ているのを見た人が、生きる力を得たという。人々の心の癒しはこんなところにあるのだ。

 

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皇帝ペンギン賞

2011/03/28 21:43

 

ただいま

やっとこさ、高知に帰ってまいりました。応援くださった皆さん、ありがとうございました。

留守中、学校のこと、家族のこと、高知地学研究会等々、いろいろとお世話になりました。心より御礼申し上げます。

 

 

帰ってきて、お会いする方々に「南極はどうやった?」「大変やったろう。」と声を掛けていただくのですが、「楽しかった。」とか「勉強になった。」とか、確かにそれも間違ってはいないのだけど、その一言では何だかうまく伝えられないので、「意外と大変でした。」と答えることが多いような気がします。時間のある方にはゆっくりお話しするのだけれど、ごあいさつ程度の方にはどうしても、全てを一言でなんて、無理な気がします。

このブログでは、この後、南極のことも、日常のこともいろいろ交えながら継続してお伝えしていこうと思っています。よろしければ、今後もおつきあいください。

 

 

さて、帰ってきて、いろいろ驚いたことがありますが、うちの玄関へ入って、おひなさまが迎えてくれたのにはびっくり!例年、私が娘のおひなさまを飾りつけするのですが、今年は、私がいないので、娘たちもちょっと寂しかったかな。などと想像していたのに、ちゃんとお内裏様とお雛様、そして、なぜか右大臣・左大臣がちょっこりとお掛けあそばしておりました。一体誰が?と思ったのですが、他でもない、わが夫の仕事だったのです。私の留守に、夫が家を守っていてくれたことに感謝していますが、普段したこともない子どものことや細々とした行事関係のことなど、よくぞここまでと思うくらい立派にこなしていたのには驚きです。実に4カ月、妻のいない間本当によく子どもたちを守ってくれました。うちの皇帝ペンギンさんに感謝です。

今年の南極のアデリーペンギンたちは、一週間交代でも互いの帰巣を待ち切れずに卵を捨てていってしまったケースも多かったですから・・・。頑張り屋の皇帝ペンギンのオスの話は皆さんも知っていると思いますが、夫に「皇帝ペンギン賞」を贈らねば!

 

 

それから、もうひとつ、高知地学研究会の熱心な会員の方で、茨城在住のTさんのことがとても気になっていたのですが、帰国して連絡が取れ、とにかく嬉しかったのでご報告したいと思います。命があることのありがたさを感じます。地震の痕が癒えるまで、時間と支援が必要です。ともに協力していきたいですね。

 

 

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地震のこと

2011/03/17 09:55

 

  遠く離れた日本で、とてつもなく大きな地震が起きているのを、船に揺られながらどうすることも出来ずにいます。いや、日本にいたとて何が出来るわけでもなく状況は変わらないと思いますが、ただ同じ日本にいることだけでも痛みを共有出来るのではないかと勝手な思い上がりをしながら、日本からの断片的な情報を手がかりに思いを馳せている次第です。仲間の中には、帰ってからの生活のこと、仕事のことなど、今回の地震に関連して、様々に不安を抱いている方も多くいらっしゃいます。
先ずは、今回被害に遭われた多くの方へのお見舞いを申し上げますとともに犠牲になられた方のご冥福をお祈りしたいと思います。どうか一日も早く安心した生活へと戻れますように心から願ってやみません。
 さて、高知の皆さん、例え今回高知に被害がなくても、東日本に起こっている出来事を他人事と思わないでいてください。みんなの命が大切であるから、考えましょう。日頃から地震が来ることがわかっていてもあんなに多くの命を失ってしまうのです。例え家や田畑を失っても、家族や、仲間がひとりでも多く生き抜くことが出来たならどんなに生きる希望を持てることでしょう。なくてもいい犠牲を出さないために今からできることは何でしょう。
 たまたま、東京でこの地震に直撃した方は、(防災教育に力を入れてこられた方ですが、)今回の地震を前に、今までの防災教育は無力かもしれない! と漏らされました。人には防ぎきれない自然の力があるということを、受け入れざるを得ないのかもしれないと考えます。また、ある人は、いわゆる防災教育は、一部の人の役にだけしか立たないであろう。そして人間の本当の力は、災害を受けた後から発揮されるものだとおっしゃいます。住む場所を失ってしまったり、大切な人とはぐれ、あるいは死に別れたりしてしまうかもしれない。そんな状況の中で生きる力が持てるような人を育てることを本当の防災教育というのか、多くの若者と接する仕事をするものとして、考えさせられるばかりです。
 今の若者たちはどのように考えるでしょう。若い人たちの意見を聞きたいと思います。高知へ帰って、新学期の授業開きに生徒たちの言葉を是非聞きたいものだと思っています。
 前述した防災教育が「一部の人のために・・・」というのは、どういうことかといいますと、同じ防災教育を受けていても、危機意識の個人差が大きいからなのです。津波が来るから避難しましょうと声がかかっても、いやなに大丈夫だろうとひとり合点な判断をしてしまう人が意外に多いと考えます。これは大人でも生徒でも同じです。本物の南海地震では考えている暇などないでしょう。とっさの判断ですぐ行動しなくては命がないのです。残念なことに、防災訓練でもとりあえず体を動かしてみようとする人と、そうでない人がいます。訓練だから、と思っているのでしょうか。「本当の地震ならすぐ避難するよ。僕だって命が大事だから。だけど、訓練で一生懸命するなんて馬鹿馬鹿しいじゃないか。」そんなふうに思っているのでしょうね。でも、実際に動いてみると、今まで見えなかった問題点が見えてきたり,よりよいアイディアが浮かんだりするものです。
 また、日本人は日頃「よく考えてから行動しろ」と言いますが、非常時には「考えなくても行動できてしまう」力が必要なんでしょうね。これは、いわゆる学校が評価する学力とは違うように思います。誰でも訓練して身につく力です。
 防災第一番目の命を守るために、「避難訓練の実施は不可欠!」。「とにかく、避難訓練はしとけ!」というのが原則のようです。学校によっても事情は異なりますが、今、私の所属する高等学校では、年に一度しかそういった機会がありません。これでは、身につくところまでどころか、あれ?どうするんだっけ?忘れて思い出せない程度ですよね。
 まだ、私の中でも考えのまとまっていないところがありますので、また、日本に帰ってから皆さんとゆっくり話し合いたいと思います。
 ともあれ、今起こっている東日本の地震とそれに関する様々な出来事は、きちんと見つめて正しく整理しておく必要がありそうです。
 

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南半球の星とオーロラ

2011/03/11 22:41

 

いよいよ日本と同じ時刻帯まで帰って来ました。と思ったら更に1時間早くなりました。とはいうものの、まだ、南緯63度ですけれど。つまり、「しらせ」は、昭和基地を離れてから約4週間、南極大陸の縁辺に沿ってとにかく東へ東へと進んできました。そして、まだ、南極大陸に近い場所なんだけれども、日本のちょうど真南のところにまで到達しているということです。
そこで、今日は南半球の極地の空をご紹介します。まずは、オーロラから。
皆さんご存じのように、局地付近にはオーロラの見えやすい場所があります。オーロラの出現頻度75%以上の場所をオーロラオーバルといって、磁極を中心としてドーナツ状に存在します。つまり、磁極にあまり近過ぎても(ドーナツの中心では)オーロラが見えないということです。南極だったらどこでもオーロラが見えると思っていた人はいませんでしたか?
では、日本の基地ではどうでしょうか?ラッキーなことに、昭和基地やみずほ基地はばっちりこのオーロラオーバルに位置するのです。南極沿岸部には世界各国の基地がひしめいていますが、便利な場所でもオーロラの観察には向かないところが多いのです。それじゃあ、オーロラの写真撮ってきてね。という話になると思いますが、われわれ夏隊は白夜の頃に昭和入りをして、夜が始まるとさよならをしてしまったわけですから、残念ながら写真を撮るというわけにはいかないのです。例え太陽の活動が活発でオーロラが発生していたとしても太陽の光が明る過ぎて見えないということですね。な~んだ。つまんない。と思ったあなた、でもまだチャンスはあったんです。それは帰りの船の中。上に書いたように、「しらせ」はしばらくオーロラオーバルあるいはそれに近いところを移動していきますから夜の始まった今がまさにその時!なのです。
実は、もう何日も前からオーロラが見えていたんですよ。でも、残念なことに、上手く写真を撮る技術がないばっかりに皆さんにお知らせするのが遅くなってしまいました。ごめんなさい。最初にオーロラが見えたのは2月22日、そして最も最近が3月6日です。私が生まれて初めてオーロラを見た日、やっぱりそれは「ん?」という感じのものでした。ただ白っぽーくぼんやりとした光の雲がふわふわ漂っているようなもので、お世辞にも美しい!というようなものではありませんでした。
出発前に高知でカメラを買ったとき、カメラ店の主人がオーロラの撮影について話しくれました。「見た目はたいしたものではないよ。この写真みたいには絶対に見えないからね。」(ちなみにその店舗にはものすごく立派なオーロラの写真が飾られてありました。)全くその通り、撮影すると色がわかるものの肉眼では何となく緑がかっているのかな・・・くらいでした。そして、そんなでも慣れている人は美しい写真を撮っていたのですが、私はさっぱり。感度とか露出とか上手く合わせられなくて真っ暗な中にまさに肉眼で見てるのと変わらない程度のうっすらとした弱い光しか写せないのでした。
そして、3回目のチャレンジでやっとオーロラの色が出るようになりました。そのときの写真を載せます。今度は船が良く揺れているときだったので、満天の星空が光の奇跡になってしまいます。なかなかうまくいかないものですね。しかし、この写真、左側にオリオン座があるのがわかりますか?日本と上下逆さまで左上がリゲル、右下がベテルギウスとなっています。少し離れておおいぬ座のシリウス。涙型の奇跡が逆に星座を分かり易くしてくれています。この日、オーロラよりも南の空の星の美しさに見とれていました。南半球は北半球と違って明るい星が少なく、天の川の濃淡がくっきりと見えます。船でそれが撮影できないのが残念です。
このほか、南の空には老人星といわれるカノープスや、南十字星に十字などがあります。しかし、この夜、私が一番気に入ったのはさそり座です。空の両端にオリオンとさそりが位置し、その間を駆け抜ける天の川、上下逆さまのさそりはいつもの姿と違って何とも味わい深いものでした。北半球では神話でも語られるようにさそりとオリオンは同時に見ることが出来ない星座であるから、よけいに壮大なイメージが広がった気がします。

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昭和の水事情 ―130kL水槽と100kL水槽―

2011/03/06 16:01

 

私たちは2月18日に昭和基地を離れ、只今砕氷艦「しらせ」は南極海を東に向かっています。もう、氷海を離れて低気圧のうねる波の中を進んでいるわけですが、「しらせ」では、海水を利用して飲み水を作っています。海水を低圧状態で蒸留して塩分を取り除くと、水道水より純度の高い水がとれますが、これにミネラルや消毒液を混ぜるような形で水を得ます。風呂は海水風呂ですし、トイレも海水で流します。一昨日などは、この減揺タンクのついている「しらせ」でさえ17度も揺れるような大時化でしたので、排水の具合が悪く、トイレの水が跳ね上がって便座が塩でザラザラなんてこともありました。 いづれにしても、人間が生きていくためには生活水が必要で、この水をどのようにして得るかということが問題になってきます。その土地に応じた方法で、というのが基本だと思いますが、今日は昭和基地の水事情についてお知らせしようと思います。昭和基地の管理棟の裏には2つの大きな水槽があります。覆いのない130kL水槽とタンク状の100kL水槽なのですが、1984年に発電棟が作られたときに設営されたもので、昭和基地の生活水貯蔵の中心となっています。夏の間は貯水池(第一ダム・荒金ダムと呼ばれる)にたまった雪解け水をそのまま利用でき、池から水を引いてきてフィルターで漉して使えますが、冬ともなりますと、そのままですと水は氷ってしまいます。このとき発電棟のディーゼルエンジンの冷却水熱が水を溶かすのに一役買うというわけです。熱交換機を利用して水を温め、この余水を常に元に返すしくみで冬にも荒金ダムの水は凍ることなく年間を通じ1分間に7Lもの水を供給できる能力があるということです。実際には無理のないように4L/分の製造で運営していると聞きました。越冬交代前に水槽をきれいに洗い、次の隊に引き継ぎます。まず、130kL水槽を棒刷りやワイパーを使って底に溜まった土砂を集め、ポンプで汲み出します。そのあと、布で丁寧に拭き取り、水槽をぴかぴかに磨き上げます。写真は清掃中の130kL水槽と清掃済みの気持ちよい水槽に寝転んで人文字を作って写したもの(1の数字の下部分が私。後ろの赤い建物が発電棟)です。そこに雪解け水を貯めるのですが、翌日には水は満々とたたえられ、とても豊かに感じました。この上澄み水をさらに100kL水槽(写真)の方に移します。そうすることで少しでも沈殿物を取り除くことができます。これから越冬をする人たちのために良い水を残しておきたいわけです。私たちは夏の間だけ滞在しましたので、第一夏宿という管理棟から少し離れた宿舎で暮らした方が多かったのですが、ここでは、洗濯もトイレも池の水を漉しただけの中水、しかも大きなタンクを利用してもいないので見た目も茶色い水を使用しました。調理用水や飲み水は、逆浸透膜で蒸留した上水を使用しました。こちらも同じく7L/分しか製造できないのに水を使用する人数は冬隊夏隊の両方なので約3倍、節約々々で大事にしたことでした。この機械のワッチは決まった時間に行って上手く調整しているのですが、時にはこれがうまくいかず、突然断水し今日は風呂なし、とか、今日は洗わなくてはならない食器は使わず弁当(こんな時は使い捨て弁当容器)なんて日もありました。いづれにしても、自分たちの生活水を自分たちで確保し、使う。こういった生活の中では日本にいるときより色々考えるものです。日本でも、我が家は水道を引いていません。今時珍しいのではないかと思うのですが、鏡川の伏潜水が豊かな場所に住まいしているので地下水を利用しています。南極とは違って冬場に氷るなんてこともほぼありませんので、その辺はありがたいことですね。地下水や井戸水の特徴は夏冷たく冬に暖かいということですが、南極でも地下に保水すればエネルギー効率がよいのではないでしょうか。ただし、工事にかかる手間および物資の補給が南極では難しそうです。

 

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ラングの風

2011/02/26 22:53

 

うっすらと雪化粧の美しいラングに到着し、昭和気象台天気予想のこれから向かう荒天に期待を抱いた。もちろん本命の地質調査は、一番の楽しみだったが。
二日目昼過ぎより風強く、時折雪または雨。気圧は高く1000hPa前後。テント二張りが風に煽られ私のPテンは荷物の入ったまま5mほど吹き飛ばされ6名のうち4名は小屋に寝る。残る二人はエスパースとPテンにそれぞれ眠った。夜中過ぎ、予期せぬ事態。小屋の天井から雨漏り多数。床に眠っていたAさんのシュラフには水溜まりが出来ていた。一同シュラフの性能の良さに改めて感動。小屋中の鍋という鍋、ボール等、入れ物をすけた(土佐弁)。しかしそんなことでは滴が落ちたときの跳ね返りで小屋全体が水の被害に。そこで皆知恵を持ち寄り、布テープで水を呼び込みながら、3カ所に集めることに成功。夜中過ぎの一騒動を終え、懐中電灯を消して布団にもぐりこむ。快活な滴の音色を楽しみながらまどろむ。やがてそれは落ち着いた優しいリズムとなっていくのがわかり、安堵と疲れで熟睡。明け方少し寒くおどろく(土佐弁)。布団をかけ直して二度寝の幸せ・・・。
3日目は昼まで風の様子を見、Mのお茶目でイケル料理を囲みながら会話を楽しむ。昼から凪いで天候が回復するとともに、専ら強い風のお陰で岩盤の雪は全て飛ばされており絶好の野外調査日和となる。3チームに分かれてそれぞれの露頭を歩く。花崗片麻岩の無色鉱物・黒雲母が優勢な層と、角閃石・輝石等が密集した黒っぽい層が見渡す限りの広い範囲に連続している中を観察したり写真を撮ったりしながら進む。先ずは日本ではありえない規模。おやつ時、サンプリングしているTを気にせず、ぼーっとラングホブデの景色に酔って、軽食のチョコを囓りながら南極の壮大な景色をひとりじめする。
調査に夢中になってきた頃、谷の奥からゴーッと音が聞こえ始める。なかなかヤバイ音だなあ、・・・と思いつつ露頭写真を撮り続ける。微褶曲のおもしろい形をどのアングルで撮ろうかとあれこれ考えながら、・・・しかし気になって谷の方を振り返ると、こんな時間なのにユキドリが低く旋回しているのが見えた。すぐに何かが起こり始めるのではなかったが、何か来る前兆がひしひしと感じとれた。ものの5分とたたないうちに小さな雪片が風に送られて来たと思うや、強風が猛烈な勢いで私の体を持って行こうとする。耐えて岩にへばりつく。灰色の雲が見るみる間に押しされていく。もはや考えるまでもなかった。速攻で引き上げ始める。とにかく普通には歩けない風。万が一、この岩盤に叩き付けられたらと思うと、より慎重にならざるを得なかった。姿勢を低くし、あるいは横ばいで風の抵抗を小さくしながら進み、猛烈な風の時には岩陰に潜む。こうやって風の息を計りながら行進した。キャンプ地に帰り着いたのは17時半を少し回っていた。夕刻より南極では珍しく雨となる。窓ガラスを叩き付ける雨、それは時折砂混じりで小屋をたたく。19時過ぎに968hPaを通過し、この後更に下がる気配。またもや雨だれとの戦い。風は益々強くなり夜になると終に残る一棟のテントも倒れた。6名全員が小屋で眠る。23時頃にはすっかり雨もやんで、夕焼けの後の景色がうつくしい。ただ風のみが荒れ狂って海水を猛烈に巻き上げていた。
次の朝、外は一面の雪景色だった。お釈迦になったテントも雪に埋もれている。風は随分穏やかになっていた。気圧は1000hPa前後に復帰。この雪の様子を「まるで雪国!」とAが表現するので、「雪国ってどんな感じ?」と土佐人らしき質問をすると、「南極こそが雪国だろう!」とMの突っ込み。午前中はまたもや待機ということで、こんな他愛ない会話を続けながら天候の回復を待つ。昼は、長芋鉄板焼きをいただき、午後雪は止んで壊れたテントの撤収およびサンプルの回収・荷造りをした。吹き流された氷で海の様子は一変している。この水空きが2ヶ月早ければペンギンたちが子育てにどんなにか良かったろうと、話した。短い時間を利用して、最後のサンプリング。Dは昨日の風で少し足を痛めて動きづらそう。でも、フィールドワークのほとんどを完了し幸せそう。今から最後の晩餐を楽しむ。(・・・食事中・・・)ごちそうさまでした。今夜は腹12分目を越して13.5・・・ありえないほど満腹。美味しい煮鳥ハムにうなぎの柳川風、卵ふわふわ鳥だしスープ。もう、思い残すことはないくらい素敵な時を楽しんだ。“Best members!” Dの言葉に同感。
本当に感謝。南極に乾杯!

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ラングホブデ雪鳥沢にて(2月15日)

2011/02/23 22:53

 

念願の岩石チームに同行して、雪鳥沢に来ています。雪鳥にはまだ会っていませんが、ゆうべウミツバメが帰って来たのに出会いました。また、姿は見えませんでしたが、ナンキョクオオトウゾクカモメの鳴き声もしていましたよ。海岸沿いには藻類が岩にびっしり付いているところもありました。(写真)南極の海は豊かだと良く言われますが、夏の海は氷が溶けて薄くなってきているのでクレバスなどができて落ちると危険です。他の場所では近づくことが難しく、ペンギンとアザラシ以外に海辺の生物に出会えたのは、今回が初めてです。
さて、岩石の話をいたしましょう。ラングホブデ雪鳥沢の地質は、リュッツォホルム湾岸の他の地域と同じく、変成岩が広く分布しています。原岩は砂岩泥岩や玄武岩などですが、その後5~6億年前に変成作用を受けてできた花崗片麻岩や苦鉄質片麻岩が縞状に分布していることが多く、その中にたくさんの岩脈が観察されます。ペグマタイト化している部分もあり、超ビッグサイズの鉱物を観察することができるので、わくわくします。
遠くから岩体を見ると大きな縞模様が見え、近づくと微褶曲のおもしろい模様を観察することが出来ます。さらに、これを顕微鏡サイズにして見ることが出来たとしても、やはり、鉱物の縞模様が観察されることでしょう。これは、変成岩が生成されるときに相当の圧力を受けたことに起因します。そして、その変成作用がどのようなものであったのか、岩石を調べることによって解明しようとしている岩石学者たちが、南極で岩石の分布調査やサンプリングなどを行っているのです。
この変成作用が起こった頃、南極インドはまだおなじ大陸に存在していたと考えられています。ゴンドワナ大陸が分裂していく過程で大陸の地下では変成作用が起こっていたのでしょう。そのようにして出来た岩石が、今は遠く離れたインド半島と南極に存在するというダイナミックなお話です。
撮影した2枚の写真を載せておきます。赤いざくろ石(ガーネット)が石英の間に鱗状にあるものや紋晶(もんしょう)構造といわれる鉱物の目玉状の集まり(黒雲母・角閃石・輝石等の鉱物の中にスピネル・コランダム等の周りを白い長石が囲った固まりがある)などがおもしろいと思います。

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グリーンフラッシュ、サンピラーそして・・・

2011/02/21 22:22

 

 

こちらに来てから白夜の中でずっと生活してきて、太陽の明るさや暖かさの中で何の心配もなく様々な気象現象を観察することができました。12月なんかホントに毎日汗かいて「昭和は暑い!」印象でした。しかし、転がる太陽を記録しようと張り切っていた私たちも、1月の天候不順続きについにあきらめざるを得なくなりました。
今、夏の盛りを過ぎた南極昭和基地では、1月20日くらいから夜が訪れるようになりました。(24:17に日の入り)といってもけっこう曇っていたのでいよいよ初日の入り!そして初日の出!の実感を持てないまま・・・ではありました。しかし、2月に入るとお天気が回復し、急にやる気がわいてきました。ここでサンセットを楽しもう!と気持ちを切り替え、まだ、成功していなかったグリーンフラッシュの撮影に挑戦しようと思っています。他の人は見えた!とか、撮れた!とか言っているけれど、これがいまひとつ。ちょっとした一瞬、山の端に隠れる太陽の光のかけらが青や緑っぽくキラリと光って見えることがあったのだけれど、写真撮影したものは全て赤い夕焼け。ちょっとがっかりです。でも、まだまだあきらめませんよ。
そして次の日、相変わらずサンセットを追いかけてこの日は少しでも高いところを目指して移動しながら1時間ほど楽しんだのですが、グリーンフラッシュはやはり・・・撮影できませんでした。ここんとこ睡眠不足です。授業の準備でクラクラでしたが、こういった天体観察には魅力がありますよね。――    
ちなみに1月30日には22:38日の入り2月4日は日の入り22時08分と日に日に6分ほどずれていきます。5日の日の出は3時04分で夜の時間が5時間程度にも長くなってきました(とはいえ、長い黄昏時といった感じが続き、ほんとに夜のように暗い時間はきわめて短い)。太陽の沈む場所や昇る場所も昨日とはえらい違いです。でも、この日、もうひとつのおもしろい現象が見えていたんです。それが、サンピラーと言われるものです。グリーンフラッシュまたしても見逃す・・・残念な気持ちのまま夕焼け空を眺めていたんですが、太陽の真上の雲に赤い光の筋が一本立っているのが見えました。ある時間帯だけよく見ると朝日新聞の社章のような感じで左右に一本ずつ光が広がっているようにも思えたのですが、(やはり、写真ではほとんど確認できませんね。)こちらの写真も載せておきますのでそんな気持ちで見て下さい (横長の写真)。南極の写真集などを見ると、本当に美しい様々な気象現象が載せられていますが、そう簡単に撮れるわけではないのですね。奥が深い!
ちなみにサンピラーというのは、上空に平たい雪の結晶ができているところに太陽光が当たって反射したもので、雪の結晶が水平に存在しているために、最も良く反射した垂直方向の太陽光が筋になって見えるというわけです。

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南極授業終える!

2011/02/12 23:49

 

あっという間にその時を迎かえ、教員南極派遣事業である「南極授業」を全て終了しました。本番は高知小津高校で2月3日(木):理数科1年生対象、2月5日(土)14:00~15:00:小津高校および近隣の小中高校生・保護者等対象と東京都立川市芝崎学習館で2月6日(日):希望小学5・6年生対象の計3回でした。参加してくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。満足のいく内容ではなかったかも知れませんが、精一杯やらせていただいたつもりです。こんなに遠い南極まで来て、たった3回というのもどうかと思いますが、取材をしたり、自分自身で体験をしたりする時間が必要ですし、日本側との連絡等、実施に向けては意外とあれこれ忙しいものです。われわれ教員は、帰国後からが大変なのかもしれません。近隣の学校さんから授業の依頼などがあると嬉しいのですが、…。さて、どうなるのかな。うちの学校の何人かの生徒さんが、「南極から毎日授業してくれるが?」と聞いてくれたんですが、そんなだったらすごく楽しいだろうな、とは思ったけれど、来てみればそれはかなり難しいことがわかりました。
南極のお天気は1月になってからずっとあまりよくありません。そのせいか、日焼け顔の人も減って、授業で日焼け顔を紹介するつもりが、・・・でも、天候不順のお陰でブリザードもどきの体験を二度もすることができました。高知の台風に負けない南極の30m/s以上の風の中を歩くなどという体験も貴重でした。3日の授業のときからお天気が良くなり、5日には最高の晴れ間を見ました。3日、5日と参加していただいた方にはその違いが良くわかったのではないでしょうか。とにかく、ゲストをお迎えする5日に大陸の生映像をお届けできたことは本当に嬉しいことでした。
5日授業後に撮影した写真をご覧下さい。久しぶりの青空で心も広がっていきましたよ。こんなに美しい世界が東オングル島にもあったのかと改めて驚きました。写真は、真っ白な大陸と海を移したものと、氷の溶けた海と島を撮したものです。

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生コンプラント

2011/01/17 16:30

 

皆さんも少し知っているかと思いますが、昭和基地では大勢の観測隊が働いています。52次夏隊(私たち教員・マスコミ・環境省などの同行者も含まれます)と冬隊合わせて80人と、昨年から越冬していた51次隊の28人がいて、その人たちが夏の間にしなくてはならないこと、それは、「しらせ」でいっしょに届いた最新の観測機器を古いものと取り替えた後、新しい機器の調整をする作業(気象・電離層・)なのですが、それ以外にも、昭和に新しい建造物を造る作業があります。こちらは、びっくり!ほとんどが素人のメンバーを建築関係者が指導しながら造り上げるというものです。今日はその紹介をしたいと思います。

 今回の南極観測隊の目玉でもある「パンジー計画」は、中間圏や熱圏といった上空を観測するためのアンテナを2000本も立てる壮大な計画。また、大きな建築物としては、「自然エネルギー棟」があります。この2つの事業に欠かせないのがコンクリートなのです。コンクリは作ればすぐに固まりますので、日本から作って持って行くことが出来ません。つまり、昭和で作らないかん!(また土佐弁)わけです。そこで活躍するのが誰だと思います?私たちなわけですよ。(森岡の出番!?

ちょっと下の写真を見て下さい。こんなところで作業しています。懐かしい私の小さかった頃、村のあちこちでコンクリ練っていたのを思い出します。ドロドロの畦道が広げられてコンクリの道になり、その後アスファルトに変わった、そういうのを見てきている世代だから、あまり抵抗もなくお仕事を楽しんでいる次第です。

 

しかし、この看板、何?と思うでしょ。実は、この現場でコンクリの堅さの調整をする要のお仕事をしているお二方が、お医者さんなのです。そこで、隊の有志が「生コンクリニック」なんてジョークで看板あげたんですよ。おかしいでしょ。

 

ちなみにここで土砂をスコップですくってバケツに入れたり、セメントを投入したり、水たまりからポンプで水を汲み上げて混ぜている人たちは、日本で医師・研究者・会社員・教員など、そして海上自衛隊の支援の方です。日本にいたら絶対経験することのないお仕事ですよね。

 

私もどちらかというと力がないほうなので(某演劇部の生徒さんよりは力があるつもりですけど)、運ぶバケツが足に当たって、膝の辺りはアザだらけです。肋も痛い!でも毎日汗をかいてもりもり食べて幸せ。夜になるとクーカー寝てしまいそうになるのをこらえて南極授業の準備をするという生活です。実際の所、パソコンの前で座ったまま何時間も寝てしまうことがあります。あきらめて寝ればいいんだけど、外が明るいので何だか寝るのがもったいない気がする。白夜は罪ですね。

今日も生コン係です。立派に働く森岡は、親方に認められて生コン教育係に任命されたほどです(笑い)。

 今、建築部門はこのコンクリのお陰で、順調に基礎が出来上がっています。これからが楽しみです。今日のお話はおしまい。

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